前回の記事では、私が介護士として働いていた頃に、リハビリ職という仕事を知ったきっかけについて書きました。
当時、私は看護師になることを何となく考えていました。
そんなとき、前回紹介した先輩に相談することが増え、リハビリ職についていろいろ教えてもらうことになりました。
当時の私は、
「理学療法士」
「作業療法士」
「言語聴覚士」
という名前は知っていました。
ただ、
「何が違うの?」
というレベルです。
そんな私に、先輩が友人の理学療法士であるYさんを紹介してくれました。
しかも、わざわざ食事をする場まで用意してくれたのです。
今でも、そのときに行った場所は覚えています。
……ただ、話した内容はほとんど覚えていません(笑)。
でも、二人から言われた言葉だけは覚えています。
「作業療法士が合っていると思うよ。それか精神科の看護師だな。暴れている人を抑えている感じ(笑)」
今考えると、なかなか失礼なことを言われています(笑)。
ただ、当時の私はその言葉をきっかけに、作業療法士という仕事を意識するようになりました。
作業療法士を目指すことにした
その後、自分でも作業療法士について調べました。
仕事内容や学校、資格について調べていくうちに、
「やってみようかな」
という気持ちが強くなっていきました。
もともと私は、結構単純な人間です。
「これをやる!」
と決めたら、猪突猛進。
ただし、飽き性でもあります(笑)。
そんな私でしたが、今回は少し違いました。
家族のこともあり、進学するというのは自分にとってかなり大きな決断でした。
そして、当然ですが一番の問題は、
お金です。
授業料と生活費。
ほとんど貯金もありません。
授業料だけでも400万円以上。
親にも協力してもらいましたが、成人してからの進学だったこともあり、基本的には自分で借金をして進学することを決めました。
「やっぱりやめようかな」
と考えることもできました。
でも、
「作業療法士になる」
と決めました。
ここから、働きながら学校へ通う生活が始まります。
仕事をしながら学校へ
仕事をしながら学校へ通う。
これが想像以上に大変でした。
そもそも、私は勉強が得意なタイプではありません。
授業についていくだけでも必死。
学校では友人たちに助けてもらいながら、一つひとつ何とかクリアしていく感じでした。
そして、職場の方々にもかなり助けてもらいました。
仕事量や勤務、休みなど、いろいろと配慮してもらいました。
周囲の人たちの協力がなければ、進級すること自体が難しかったと思います。
今振り返っても、
本当に周りの人に恵まれていたな
と思います。
ただ、学校生活が大変なのはこれからでした。
待っていたのは、
臨床実習です。
恐怖の臨床実習
今はだいぶ緩和されていると聞きますが、当時の臨床実習は、
「実習で不合格=留年」
という時代でした。
奨学金を利用している学生にとって、留年は本当に避けたいことです。
留年すれば奨学金が止まる。
さらに、もう1年分の学費が必要になる。
私の場合、
「留年したら金銭的にかなり厳しい。もしかしたら、その時点で学校を辞めていたかもしれない」
と思います。
実際に、途中で学校を辞めていく人もいました。
だからこそ、実習は必死でした。
多少のことがあっても、
「とにかく耐えて合格する」
という気持ちになっていました。
もちろん、実習先の療法士が全員横柄だったわけではありません。
むしろ、学生に丁寧に教えてくれる方もたくさんいます。
ただ、当時の私には、
「リハビリ業界って、プライドの高い人が多いな」
という印象もありました。
介護士時代に出会った、私が師匠と呼んでいる作業療法士の方を見ていたからこそ、
「自分は変な療法士にはならないようにしよう」
と考えていました。
……まあ、実際には私自身が変だった可能性もあります(笑)。
「リハビリの人は威張っていた」
実際、私が作業療法士として働くようになってから、介護士さんからこんな話を聞くことがありました。
「リハビリの人は威張っていました」
「任せてもらえなくて、指示に従うしかなかったです」
「介護の専門性をもっと発信してもいいんじゃないですか?」
と伝えると、
「……やってもいいんですか?」
と言われることもありました。
もちろん、これは私が働いていた場所で聞いた話であり、すべてのリハビリ職がそうだったという話ではありません。
ただ、介護職とリハビリ職の間に、
「専門職同士なのに、うまく連携できていない」
という場面があることは、私自身も実際に経験しました。
だからこそ、
「患者さんを支えるために、それぞれの専門性を尊重することが大切なんだな」
と考えるようになりました。
実習前から始まる「怖い情報」
実習へ行く前になると、学校の先輩たちからいろいろな情報が入ってきます。
「あの病院はヤバかった」
「あの施設は大変だった」
「あの人は厳しい」
「あそこは合格できない」
などなど。
実習先が決まって、
「そこに行くのか……」
となったときの絶望感(笑)。
ただ、実際に行ってみると、
「なんだ、全然大丈夫じゃん」
ということもあります。
逆に、
「先輩が言っていた以上にヤバいじゃん……」
ということもあります。
実習先によって本当にさまざまでした。
そして私の場合。
初めての実習で、かなり大変な人に当たりました。
初めての実習
初めて担当してもらった作業療法士の方。
初対面のときは笑顔でした。
横柄な感じもなく、
「これなら大丈夫そうだな」
と思っていました。
ところが、実習が始まると状況は変わっていきます。
今でも覚えているのが、
「休みはどうしたい?私、学会の準備があって」
という言葉。
学生だった私からすると、
「休みたいです」
なんて、とても言えません。
そもそも、
学生の立場で「この日は休みたいです」と言えるの?
という感覚でした。
しかも、ものすごく忙しいオーラを出している。
結局、実習を早めに終わらせたい様子だったこともあり、
休みなしの2週間
ということになりました。
今考えても、何も分からない学生にはかなり厳しいスケジュールです。
ただ、当時の私はそれが普通なのかどうかすら分かりませんでした。
デイリー、レジュメ、レポート。
どうにか必死に課題をこなします。
その話を他の療法士にすると、
「え!?それ無理でしょ」
と言われました。
今でも、そのときの大ベテランの方の反応を覚えています。
「私のところには来ないで」
そして実習初日。
担当者から、
「私のところには来ないで」
と言われました。
「え?」
ですよね(笑)。
担当者なのに。
そこで私は必死になって、他の理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の方々にアポイントを取り、同行させてもらいました。
右も左も分からない学生が、自分でお願いして回る。
今思えば、よくやったなと思います。
でも、
「実習に落ちたら留年」
です。
お金もありません。
辞めるわけにもいきません。
だから、とにかくやるしかありませんでした。
人生2回目の耳鳴り
2週間休みなし。
大量の課題。
正直、
まじで無理です。
でも、やらなければ不合格。
不合格になれば留年。
留年すれば奨学金にも影響する。
学費も払えない。
だったら、
気合と根性でやるしかない。
そんな状態でした。
もちろん、課題の内容はめちゃくちゃです(笑)。
それでも必死に頭を動かして書きました。
幸いだったのは、PCを使えたこと。
当時は、手書きで提出させる「鬼療法士」もいました。
PCが使えるだけでも、まだマシです。
……とはいえ、PCが使えても寝られません。
実習は朝8時頃から17時頃まで。
ただ、学生は掃除や準備などがあるので、誰よりも早く出勤します。
私の場合は7時頃には実習先にいました。
そして、療法士の業務が終わったあとにフィードバック。
これが1~2時間ほど続きます。
実習先を出るのが19時頃。
家に帰るのが20時頃。
そこから食事、風呂。
そして課題。
寝るのは毎日夜中。
そんな生活を続けていたら、
当然、身体に異変が出ます。
耳鳴りと頭痛。
建築会社時代以来、人生で2回目の耳鳴りでした。
そして、レジュメとレポートの期限を守って提出した翌日。
私は倒れました。
課題は何とか期限内に提出しました。
ただ、
「ここを直して」
と手直しもあります。
それでも根性で提出しました。
そして翌日。
体調を崩して休みました。
すると、
「なんで休むの?タクシー使って来いよ」
と言われました。
当時というより、その方は体調不良で休むこと自体をあまり認めないタイプだったのだと思います。
学校の先生が実習先へ見回りに来ることが一度だけありました。
そのとき、私は先生の前で泣きました。
それくらい、精神的にも追い込まれていました。
それでも、どうにかこうにか初めての実習を終えることができました。ちなみに当初予定は2週間でしたが、内容がダメダメで数日延長を学校の先生が決めた時は絶望しました。(笑)
ただ、この経験は、その後の実習にかなり影響しました。
理不尽なことだけではなかった。2回目の実習で気づいたこと
2回目の実習。
私は1回目の経験から、
「余計なことは言わない」
「ひたすら低姿勢」
「できるだけ穏便に」
「食事も一人で」
そんなことばかり考えて行動していました。
すると今度は、
「積極性がない」
「社会性がない」
と注意されました。
そして、また泣きました。
そこで私は、1回目の実習で何があったのかをすべて話しました。
すると、担当してくださった方から、
「前とここは違う。もう切り替えなさい」
「なんのための実習なのか考えなさい」
と、いろいろなことを教えてもらいました。
この2回目の実習で出会った2人の担当療法士には、本当に大きく修正してもらいました。
実習自体は厳しかったです。
でも、1回目のような理不尽さはありませんでした。
社会人として。
そして、作業療法士として。
患者さんと向き合う姿勢を厳しく教えてもらいました。
3回目の実習で教えてもらったこと
3回目の実習も、もちろん楽ではありませんでした。
でも、2回目の実習と同じように、とても多くのことを学びました。
特に強く印象に残っているのが、
作業療法士は患者さんや家族の人生に関わる仕事だということ。
ただリハビリをするだけではありません。
患者さん本人だけではなく、その家族の生活や人生にも関わります。
だからこそ、
「専門職として責任を持って関わらなければならない」
ということを教えてもらいました。
実習は本当に厳しかったです。
でも、今振り返ると、3回の実習すべてに意味があったと思います。
「選択を間違えた」と思った
初めての実習が終わったとき、
「終わった……」
と思いました。
そして、
「作業療法士を選んだの、間違えたかもしれない」
とも思いました。
正直、辞めたいと思ったこともあります。
でも、そんな私を支えてくれた人たちがいました。
介護施設を退職したあとも、定期的に会っていろいろ教えてくれた師匠。
学校の友人。
職場の人。
そして、実習先で出会った療法士の方々。
本当にたくさんの人に助けてもらいました。
どうにか卒業。そして国家試験へ
きつい、つらい経験はたくさんありました。
でも、私だけが大変だったわけではありません。
友人たちも、それぞれ違った苦労を抱えていました。
だからこそ、みんなで支え合いながら何とか進んでいきました。
そして、
どうにか学校を卒業。
その後、
国家試験にも合格することができました。
働きながらの進学は、若さと勢いで何とか乗り切った部分もあります。
今の自分だったら、
「同じことをもう一度やれ」
と言われても、
「いや、無理です(笑)」
と答えると思います。
それくらい、正直きつかったです。
おわりに|あの経験が今につながっている
介護士から作業療法士へ。
そのために仕事をしながら学校へ通い、借金をして学費を払い、何度も「辞めたい」と思いながら実習を乗り越えました。
決して楽な道ではありませんでした。
むしろ、
「こんなに大変だとは思わなかった」
というのが本音です。
それでも、あの経験があったからこそ、今の自分があります。
理不尽な経験もありました。
身体を壊しかけたこともありました。
「選択を間違えた」と思ったこともありました。
でも同時に、
自分を支えてくれる人のありがたさを知ることもできました。
そして、良い指導者に出会うことが、どれだけ大きな意味を持つのかも知りました。
介護士時代に出会った師匠。
2回目、3回目の実習で出会った担当療法士。
学校の友人。
職場の人たち。
たくさんの人に支えてもらって、私は作業療法士になることができました。
だからこそ、今度は自分が誰かに何かを返せる人間になりたい。
そして、これまでの経験を糧にして、これからも新しいことに挑戦していきたいと思っています。
「介護士になるつもりもなかった私が、今度は作業療法士を目指すことになった。」
人生って、本当に何が起こるか分かりません。
そして、この先もまた、思ってもいなかった方向へ進んでいくのかもしれません。


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